世界地図を見ていると、時々不思議な国境を目にすることがあります。
アフリカにあるナミビアの国境もその一つでしょう。
ナミビアは一部が細長く突き出た形状をしており、このエリアはカプリビ回廊と呼ばれています。
なぜこのようなユニークな国境となったのでしょう。
今回は、カプリビ回廊の概要やできた経緯を徹底解説します!
そもそもナミビアとはどんな国?
面積 | 82.4万平方キロメートル(日本の約2.2倍) |
人口 | 257万人(2022年) |
首都 | ウィントフック |
言語 | 英語、アフリカーンス語、独語、その他部族語 |
宗教 | キリスト教、伝統宗教 |
ナミビアはアフリカ南部に位置する国です。
長らく他国の支配を受けてきましたが1990年に独立を果たしました。
国名の由来は、付近にある世界最古の砂漠の一つといわれるナミブ砂漠に由来します。
豊富な鉱物やエネルギー資源の他、世界有数の漁場や牧畜に適した温暖な気候を有し、高い潜在力がある国として知られています。
また豊かな自然が残存しており、観光業が主要産業の一つとなっています。
カプリビ回廊とは?
カプリビ回廊は、ナミビア北東部の東に細長く突き出たエリアです。
南はボツワナ、北はアンゴラとザンビアに接し、エリアの先端側の国境はザンベジ川やクアンド川に沿って引かれています。
旅行ガイドでは「ナベの取っ手」と紹介されることもあるそうです。
カプリビ回廊ができた経緯
カプリビ回廊ができた経緯を理解するには19世紀までさかのぼる必要があります。
当時のナミビア周辺はドイツ帝国が領有をしていました。
ドイツ帝国は、同じくドイツ帝国の植民地の現タンザニアとのアクセスを改善するために、アフリカ南部からインド洋に注ぐザンベジ川の利活用を渇望します。
▼ドイツ帝国が想定していたルート
そこで英国と領土交換の交渉を行い、1890年にザンベジ川に密接したエリアまで細長く突き出た回廊を獲得しました。
それがカプリビ回廊として今なお残存しているのです。
なお、ドイツ帝国は後にザンベジ川にはヴィクトリアの滝をはじめとした航行不能な落差があることに気が付きますが時すでに遅し、、。
折角手に入れたカプリビ回廊はインド洋までの航行には使えなかったのです。
カプリビ回廊の現在
カプリビ回廊には国立公園や自然保護区が点在するなど多様な自然が魅力です。
バードウォッチングやキャンプなどを目的に訪れる観光客も多いです。
一方、第一次世界大戦後にナミビアを支配した南アフリカによるアパルトヘイト体制の影響で、周辺に住む多数の民族が「カプリビ族」としてひとくくりにされるなど民族問題が残るエリアでもあります。
まとめ
今回は、ナミビアの不思議な国境「カプリビ回廊」の歴史やできた経緯について解説しました。
カプリビ回廊の特異な歴史を初め、魅力的な自然が数多く残存する点についてお伝え出来たかと思います。
また、カプリビ回廊における時の支配国の影響が民族問題を招いている点についてもお伝え出来たかと思います。
民族問題は、移民問題を抱える日本としても決して対岸の火事ではありません。
単なる遠い国の出来事と思わず、自分や世界がより良いものにするものとして思考を巡らせてみて下さい。
参考文献
外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000480558.pdf
外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/namibia/data.html
ダイヤモンドオンライン:https://diamond.jp/articles/-/309400
JICA:https://world-diary.jica.go.jp/katohodaka/cat3128/10-.php
Namibia Wildlife Resorts:https://www.nwr.com.na/